読書日記4 平山夢明「ダイナー」

 

ダイナー (ポプラ文庫)

ダイナー (ポプラ文庫)

 

 

そもそもblogを始めるきっかけになった人が居て、その人の影響で本を読み出し、小説を書くようになった。

この平山夢明のダイナーはその方が好きな本だ。

俺は小説を読むのがあまり好きではない。いや、人以上には読むが、小説好きほど小説を読んでいない。

最近自分の文体にスピード感がないような気がしてきたので小説を読んで勉強し始めた。

この平山夢明は、文章のリズム感がヤバすぎる。速い速い速いヤバい。

比喩がリアルだ。分析するに、例えば刺すような痛みって表現があるとすると、彼は蜂に刺されたみたいな痛み、とか子供でもわかるような単純な表現でありながら、身近でリアルな表現をしている。だからわかりやすい。掴みやすいのだ。

セリーヌがあまりにも読み進めにくすぎるので、ダイナーを読みつつセリーヌを読んでいる。

セリーヌは遅すぎる。文章が停滞している。とにかくキレている。

平山夢明セリーヌも同じぐらいのページ数なのに、平山のは合計2時間ぐらいしか読んでないのに2日間かけて読んだセリーヌと同じぐらいのページ数を読んでいる。

まぁ、ひとつには行間の長さがあるんだろうが、それでもやっぱり読み進めるスピードの違いがある。

ダイナーは人殺しが集まるレストランで働く女の話なのだが、描写がグロい。殺されるシーンとかがめちゃくちゃ多い。

セリーヌは人の毒みたいなのを書いてる。グロいシーンはないのにセリーヌの方が読んでて気分が悪くなる。

人間ってのは、汚い。そして、人殺しなんかより汚い腐った心のやつの方が圧倒的にグロテスクだと思う。

多分ダイナーは今日、明日で読み終わるだろう。セリーヌはいつになるのか。

読書日記3 草下シンヤ「実録ドラッグ・リポート」

 

実録 ドラッグ・リポート

実録 ドラッグ・リポート

 

 

 

いつも疑問に思うのは、ドラッグものの小説のスピード感だ。

石丸元章の「SPEED」

中島らもの「アマニタパンセリナ」

行間が多いとかってわけでもない。とにかく読ませる。文章のリズム感がヤバい。

面白い、とも面白くない、とも思わなかったけど、とにかく文章が簡潔で読みやすい。

石丸元章はガンガン突っ走って爆発してる文体、中島らもはものすごく優しく書かれていて、分かりやすく噛み砕いて説明されている感じ。この作者は遠くから物事を眺めてる感じ。

この違いってなんなんだろう?って思う。

セリーヌ、まだ読み終わってない。のにこっちはもう読み終わりそうだ。

エゴエゴアザラク

学校に持っていく医者の診断書が部屋に落ちていて思わずこう言った。

「これはなくしたらあかん、あぶないとこやで、命より大切やからな。」

そうです、その通りです、命なんて大したもんじゃない。

命が何より大切って考え方がクソ鬱病を作り上げてる。

命ってやつはそんなに大切か?よく考えてみろよ。少なくとも他人の、大切な人の、母親の、友達の命は何者にも変えがたい大切な代物だ。

死なれてしまったらもうどうしようもないからね。

俺の命も他人からすればめちゃくちゃ大事かも。そう、命は他者と結び付くことで大事なものになる。

山にこもってる修行僧がある日お告げを聞く。「命を捨てればすべてを知れる。」

そんな場合は死ぬべきだ。

要するに命ってやつは、身の回りの他人のエゴのために存在しているだけだ。

身の回りのやつを悲しませないために生きる以外に、一体生きることに何の価値がある?

読書日記2 セリーヌ「夜の果てへの旅」

友達が絵の技術を身に付けるためにデッサンをしまくってる。

俺もなにか始めないとなぁと思い、大量に集めた小説を片っ端から読んでいってる。

取り合えず内容云々はあんまり頭に入らなくてもとにかく読んでる。

小説を何故買うのか、と問われれば置いておくためだ。

この本が読みたい、と思った瞬間に手元にあると便利だからひたすら買っている。

でも大抵ブコウスキー西村賢太かばかり読んでてあんまり読んでこなかった。買うだけ買って読まないのは意味がない。

小説はその時の気分とマッチするのを読みたいって感じだったが、ひたすら読むようになった。

今はこれを読んでいる

 

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈上〉 (中公文庫)

 
夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

夜の果てへの旅〈下〉 (中公文庫)

 

 めちゃくちゃ長くて、めちゃくちゃ読み進めにくい。めちゃくちゃ怒ってるのだ。

技術なんて必要ない、と俺は思う。とにかくなにかを突き進む無謀ささえあれば。

とにかく今年はいろんな本を腐るほど読んで、どうすれば面白い文が書けるのか学んでいきたいと思う。

ある程度の虚偽がないと文は成立せずに破綻する。

だが虚偽だけだとつまらない。

この本は本当のことしか書かれていない。だから読むのが大変だ。

まだ100pぐらいしか読めていない。

読書日記1 芥川龍之介「河童・或阿呆の一生」

「河童・或阿呆の一生」を読んだ。

 

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)

 

 

読んだと言っても河童、或阿呆の一生、歯車、の三篇だけ。

芥川は自殺した。「書くこと」がつらい。「ぼんやりとした不安」の中で死んだ。

俺は別に成功したいとかそんな願望もないんだが、もし、仮に俺の書いてる小説が何らかしろ賞を取ったとして、もし俺の小説を読んで、全く俺とそっくりだ、と思ったやつがいたとして、俺が自殺してたら、俺もこのまま居れば死ぬのか?ってそいつは思うだろう。

だから俺は今はまだ死ねない。し、学校を辞めるわけにはいかない。

このblogは単なる吐き捨て場で、俺のblogを読んでも多分だれも何も感じないだろう。

でも俺は必死に小説を書いてるし、実際に俺のことを全く知らない友達の親父が読んで本当に泣いたらしい。

だから俺はいつか、いつか陽の目を見て、俺の人生と同じような人生を歩んでいるやつが俺の小説を読んで、救われて欲しいと思う。

芥川の歯車は俺の思って感じてることをそっくりそのまんま書いてる。

なに不自由なく幸せなのにその幸せすら嫌悪する感覚。

そんな芥川が自殺してるんだ、俺もこのまま居れば死ぬのか?と思ってしまう。

俺の生きてる理由はまぁ、そんな感じだ。

俺は自惚れ強すぎるナルシストだろ。読んでて不愉快だろ。

でもな、でもな、影響力が強いやつの自殺ってショックだよ。

俺は高校をやめたけど大学は卒業したい。

「こんなことしてても卒業できたんだ。お前も大丈夫。」

そういってあげたい。

西村賢太ブコウスキーは最低の人生を歩んでたが、ちゃんと生きてる。

俺は読むたびにちゃんと生きていけんだよ、心配すんな、って言われてる気分になる。

とにかく俺は他人を救うことでしか生を実感できないクソなんだ。

 

アナルシスト

自己卑下はナルシストだけが行う行動だ。

「俺は何故モテないんだ。」は厳密に言うと、「俺はこんなに格好よくてアイツらより優れてるのに何故モテないんだ。」だ。

決して「俺はアイツらより劣っているからモテない。」ではない。

自分の中の自分に対する理想像が出来上がりすぎていて、その自分に追い付けない現実の自分自身に嫌悪して自己卑下が起こる。

他人と比べての自己卑下と言うものは、コンプレックスで、それはまた違ったものになる。

「あいつは学歴が高い。俺は低い。ムカつく。」

でも、よく考えればそれは、あいてに勝つことより勉強をするのが嫌だから、で相殺される。

わかるかな?

アナルの皺の違いみたいな小さい自己をやたらに評価しまくって現在おかれてる自分の状況なんか気にせず、やりたいことをやればいいだけ。

理想の自分を追いかけるのが好きならそこに追い付こうと頑張ればいいだけ。

つべこべ悩んで遠回りするより一番近いところから山を登れ。

そしていつか山頂にいる理想の自分と会合して思うだろうな。

下から見てる景色も上から見てる景色も大して違わない。この世は腐ってるって。

neat neat neat

親に認められて生きてきたクソが、なぜ他人に認められたいという感情を持てるのか?

あり得ないね。そもそも認められるという感覚自体が欠けているから芸術をしてるのであって、両親が優しくて恵まれた家庭だろうが芸術をするやつはするんだが。

まぁそんな話はおいといて、親に認められてないやつでも作品が多少有名になれば喜ぶやつね。俺は嫌いね。

大分前の話になるけど、俺は自分が音楽をするきっかけになった人にFacebookでいいねをもらった。

何にも嬉しくなかった。

結局すべての人間、親に愛されてようが愛されてなかろうが、他人に認められたいって感情の本当の本質は、自分に自分を認めさせるってことなんだよな。

金、とか人気、とかに誤魔化されるわけだけど。

遊びでやってたサウンドクラウドに作ったふざけた曲が後輩に受けたんだけどさ、全然何にも感じなかった。

そもそもあれだよな、バンドやってます、とか言いやがるやつらってさ、伝えたいものもねーんだろうな。

俺は伝えたいものが100%伝わってないと何にも納得できないからさ。

あいてに自分を伝えられて理解されて受け入れられて認められる嬉しさより、自分の中身を引き抜いてあいてにきちんと受け渡せた自分を認めてあげたいだけなんだろうな。