16時が17時になる5分間 電車

目立ちたくて派手な格好をしてたことがある。大学に入ってしばらくの間。

というか、目立たないように目立たないようにしようとすればするほど目立つからあえてその逆をやればいいって発想が俺のなかで生まれた。

それは失敗した。見事に目立った。が、おかげで人の目が気にならなくなった。

今は、派手ではない、乞色だ。

タイの服を着ている。その中でも比較的、色が暗い。だからとても汚い。ミノムシみたいなやつはさすがに着るのを辞めた。

電車の中で彼女いわく、ものすごく見られているらしい。自覚はしていない。俺の中で一番の服装への気遣いは"人と被らないこと"、"テンションが上がる服装"だ。

友達の仕事を手伝いに行くために電車に乗った。

俺の地元は田舎だ。前に高校生が座ってる。スキニー、キャップ、パーカーから少し出した田舎の高校生。

ダサい。

乗ってきたやつがそいつに挨拶をした。そいつの格好は、スキニーキャップ、パーカーから少し出したシャツ、、。

流行に乗るのはいいが、恥ずかしくないのかな、と思う。

だからって奇抜な格好をするのはアホだ。俺は辞めた。好きな格好をしてりゃいい。

ファッション雑誌のコピーが本当に好きな格好なのかな?と思う。

服装まで人の真似をしだしたら終わりじゃない?と思うよ。自己アピールしろとは言ってない。鏡の前の自分を自分と見てないやつが多すぎる。

知り合いの人は若いときモヒカンだった。それはコスプレや。と言うてた。好きな人と同じ格好になることで自信が出るとかそんなのとか、その格好が好きでやってるんだろう。

俺は疑問に思う。ファッション雑誌の流行りの格好が本当に好きって、マジか?

自分が本当にその格好が好きならその生い立ちとかを探っていくもんだろ?その好きな服装のジャンルのルーツとかは以外と今の一般化した形と変わっているものだ。マークボラン、デヴィッド・ボウイがビジュアル系に変わったみたいに。その自分の好きなのが流行でもいい。でも本当に好きならだんだんルーツに近づいて一般化されてるものとはかけ離れていくと思うんだけどな。

俺はその、黒スキニーの同族意識みたいなのが気持ち悪い。だから、黒スキニー履けば女にモテまくるんだとしても、この全然モテない自分の好きなかっこうしてる方がいいや、と思ってしまう。

白痴の代弁者

「パン屋」がなぜ「和菓子屋」に? 小学道徳教科書広まる誤解

 

このニュースを読んで昼間っから大笑いした。

まぁこのニュースは読んでる限り、いや、あまりのくだらなさにほとんどパラ読みしたんだが、「なんか言われるまえに対策しとけ」って感じだ。

 マスコミが悪いんじゃなくて、見てるやつらがアホだからマスコミはクソになっていく。

マスコミは俺ら、社会の鏡。

読売アンデパンダンは、社会が歪んでた時代に、反芸術の展覧会をやってた。読売新聞が主催になって、歪みを伝えてたってわけだ。

 

ニュースってやつが、マスゴミが、アホに見える?

それを視聴者が望んでる。

アホは正義感を振りかざしてマスコミに"差別発言だ"などとクソを抜かす。

その裏でオカマのタレントを見ながら笑う。

差別発言?差別しないってことは区別しないことだ。お前らの大好きな正義の教科書にはそう乗ってなかったか?

日本の大多数のアホがマスコミに言う理由は、"承認欲求"だ。見てみろよ、Ah?被災地のカメラに写り込む、笑いながらボランティアして、ピースしてるやつら。そいつらに抗議が行ってるとは、俺には思えないんだが?

お前らの存在価値は、その程度か。その程度の正義か。悲しくなんねえのか?他に語るべき言葉はないのか?書くべき言葉は?と、俺はいつも思う。

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猫と女は望んでないときにやってくる。

もし、誰かに理解してほしい、愛をもて余して芸術をしてるなら、いや、その活動の良し悪しなんてどうでもいい、、有名になるなんてクソを拭く紙より訳に立たない、ガンジス川に流れていく蛆のクソ以下、、とにかく、なにか誰かに訴えかけたくて愛されたがって生きてるやつは、誰にも理解されちゃいけない。

苦しみってのはギフトで、解消する度に社会との折り合いがわかっていく。なのに、ガキの頃に理解されてしまったらそっからは何もやる気にならない。ボーッとしてるだけだ。

理解されないってことが理解されてるってことでもある。少なくとも、理解されるのが生きる目的になるから。

30過ぎたら世間と自分に折り合いがつく。嫌でも付き合い方が分かる。その時に理解者、女、愛するやつを見つけるべきだ。苦しまなくても出来るようになったときに。

何てね、偉そうなこと言うけど、"理解者"はお前が欲しがってるときに現れない。去っていってくれればいいんだがそういうわけにはいかない。

猫と女は望んでないときにやってくる。ボードレールだったっけ。

女はな、男友達と笑ってるところが好きやねん。ってのも知り合いに聞いた。実体験でもある。なんで俺じゃなくてあいつが好きなん?って聞いたら「俺と話してて笑ってるとこ」が好きで惚れた、とか訳のわからない話されてフラれた。

理解される、ってのはある意味完結であって、振り出しに戻るってことだ。

俺は彼女に理解されてしまった。理解されることだけを目標に生きてきたってのに、俺はもう生きる意味がない。

吐き出すものも吐ききれてないってのに、吐き気だけ抱えてどうしようも出来ずに立ち止まってる。またやることを探さなきゃいけない。

昔みたいに理解されたい、一人になりたい、って状況で生きたくて何度も別れたが、まぁ無理だった。結局一度理解されてしまうと、相手にうんざりするまでは自分の意思じゃ別れられない。

苦しめる時に苦しんどけ。お前の願望が完成したら、苦しむことは出来なくなる。出し切るまで理解者が出来たら、違う方法で自分の膿を出す方法を考えなきゃならない。それは絶対に、少しずつ流れていく膿で、理解のベクトル向いてるときの鮮血みたいにスピードに乗って飛び出る膿じゃない。

他人にされた肯定は、自分でした肯定よりも嘘臭くてなかなか信じられない。すげえ中途半端なもんだ。

何度も言ってるけど、未完成こそが一番完成された状態だ。

生きる意味は埋めることにある。埋まってしまったらもう死ぬか、もう一度壊してやり直すしかない。

もっと苦しみ、もっと出しきっておけ。徹底的に、死ぬほどな。気が狂うほど。

出しきれたときに自然に出会えるよ。安心しろ。

朝9時32分

ガキの頃に夢見る20歳ってのは、アトラクション、遊園地、ワンダーランド。

20歳になると親に叱られず、彼女もいて、音楽をしてて、学校にきちんと行ってる、そんな感じで、いや、当時からしても、俺には夢のまた夢みたいな日々なんだ、それが。

現在20歳、親に叱られない、ってことがどれだけだるいか。全部自分で決めなきゃならない。自分でレールをひいて自分で進んでいくことのだるさ。

ごもっともだ、適当に引きすぎたレールから車輪が外れてうまいこと進まない電車、うんざりする。

彼女はいるにはいるが、居るのか居ないのかわからない。

音楽はしてる?格好だけの似非ヒッピー。ためいきしか出ねえ。

今遅刻してる。

いつまでたっても自立できないのはあの頃となんの変化もない。回りの景色と若白髪の量だけ増えてくだけ。

20歳が30歳を夢見るときはうんざりすることしか思い浮かばない。

ガキの頃考えた30の俺はもう死んでた。

軌道修正しないとな、そう思いながらまた遅刻。

石橋を叩きすぎて壊してしまう前に、レールしかずに電車の乗客なんて見捨てて一人でゆっくりあるいてるほうがまだすこしは進んでるかもな。

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尊敬ってやつがいかに哀れか。

中島らものエッセイを読んでると、「一般人に近い人がアイドルなりになる時代が来る」って書いてたがその通りだ。

AKBが可愛いか?歌が下手でダンスが出来なくてもアイドルになってる。

そしてみんなそれにあこがれて追従を試みる。偶像崇拝に近い。

俺はとある人を崇拝し、尊敬し、"同化"を試みた。

高校時代某バンドに憧れて歌詞に書いてることをすべて現実で実現した。

女にあまりにもモテないのに歌詞にはセックスについて書かれてあったから苦労した。実際に経験して、歌詞を書いて歌ってる人と同じ気持ちになってやろうと考えた。

その他にもここには書けない色んなことをした。

人生を捧げるって訳じゃないが、いい退屈しのぎになった。

でも、そのうち頭がおかしくなってきた。

ファンってやつは怖い。アイドルが刺されたりしてる。あの心境は俺にもよくわかる。実際に愛ってやつは死に近い。俺の場合は愛ではなくて、完全なる同化だったが。

服装を真似し、発言、言動まで真似した。で、俺は実際にその人に会った。

その人の彼女との会話、ライヴ終わりの姿を見てうんざりしてしまった。

真似をする意味がなくなってしまった。

アイドルなり尊敬する人も、プライベートでは普通の人間だ。俺は神様かなんかだと勘違いしてしまってた。

その瞬間生きてる意味がなくなってしまった。

1年間あらゆる芸術を辞めて、俺は普通の人間になろうとした。

で、そのときに歌詞の意味をようやく理解したし、今俺が聞いてる音楽は偶然にも、その人の好きな音楽と一致していた。バッハ、アシュラテンペル、レゲエ。無理して聞いたりしててものが本当に好きになっていた。

もし尊敬し、同化したいと考えるなら、その人から遠ざかることだ。

自分が自分自身であることが、もっとも神に近い。神に与えられたものが、顔面の皺、性器の大きさ、愛し方、性格、個性だから。

自分が自分であることで、その人に近づくことが出来る。他人は神だ。そして、お前は他人から見れば神だ。

神もクソするし、咳もするし、女に甘える。

お前がクソもするし、咳もするし、女に甘えるみたいに。

すがるものなどこの世の中には無い。

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ダダイストとは2

ダダが滅びた理由に関して俺は、虚無主義実存主義へと変貌を遂げていくのに似ていると以前書いた。

もうひとつあると思う。

確かツァラだったと思うが、いや、ダダイストは言ってるし全員が思ってることだと思うが、ダダは死んだって言葉がある。

何故死んだか?クソ追随者のせいだ。

日本のネオダダが何故ネオダダと名乗ったか。厳密にはダダと離れているからだ。

ダダは無、だ。"作り出す気"などない。そもそもカウンターカルチャー、社会に対する反発であれど、ムーヴメントではない。

虚無感の昇華、それさえ終えれば"終わるもの"なのに、"死んだ"。何故か。

ダダイストを名乗るやつのせいだ。

段々規模が大きくなるにつれ、みんな真似し出す。

メルツバウを作っていたクルトシュビッターズ、俺は好きだがダダイズムに参加できなかった。

クルトシュビッターズは一人でやりだした。でも、メルツバウは成功していることだと思う、だが、そんなやつが増えすぎたんだと思う。

ツイッターを開いていたらミュージックネオダダイズムなんて抜かしてるやつがいた。そいつのツイートを見ていたが、ダダからはおよそかけ離れていた。

ダダはカテゴライズするべきものじゃないし、ダダ宣言は皮肉であり、傍観者でしかない。ダダは名乗る人間が表現を定義するためのものでもない。

ダダイズムは追随者によって死んだ。終わる前に殺された。

ダダは無意味だ。俺は路上で友達とただただ叫んで、ダダを名乗ってたがすぐ辞めた。路上ミュージシャンの妨害、という意味が出来てしまったから。

ダダは何も意味しない。こんな討論無意味だが、ムカつくから書いた。

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BLANK

「誰々みたいに成りたい。」

「誰々を尊敬してます。」

「誰々を崇拝してて。」

ジムモリスン、ドアーズ、俺はあんまり好きじゃないし、詩も読んだが意味があんまりわからなかった。

「俺は人を尊敬しない。」

あとの言葉は忘れたが、そんなことを言っていて、俺はそれだけよくわかる。

ロックスターになりたい、アイドルになりたい。

努力ってやつの正体は、その人がその人であり続けるってことでしかない。

血の吹き出る努力は、その人がそれをしないとこの世の中に何もやることがない、って場合のみやるべきだ。

ひとは、自分にしかなれない。

君が好きなスターは、自分で居続けた結果スターになってたって話だ。

みんな、成功者は、「成功したくて」やってるわけじゃない。

書かなきゃ死ぬ、飯を食うよりギターを弾きたい、その人がその人であるってことは必ずしも有名、と結び付くもんじゃない。

有名になりたくてバンドしてるやつは、有名になったあとはどうするつもりだ?

考えろ、お前って器を。そして、器に一番合うものだけをそっと飾れ。

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腐った朝日

時計仕掛けのオレンジを見てたら9時30分になった。

昨日は徹夜だ。メンヘラがどうだののクソみたいなことをブログに書いてたらやたらとしきりに猫が鳴いてる。

イライラしてきて俺は映画を見ることにした。餌をやったら黙った。

キューブリックとか言う天才のお陰で俺の朝は最高に気分がよかった。外は晴れてて申し分ない。パーカー1枚羽織ればいい、春はすぐそこに来てる。

猫は寝ているし静かでのどかな朝だ。今日はなにしよう、って前向きに考えられる気分だ。夜はどうしようもなく憂鬱だし、彼女は実家に帰っててくたびれる。俺は待ってた、この朝を。昨日の消耗した気分も一気に朝と晴れた。

俺は何を食いたいのか、まず考えた。おにぎりが食いたいと思った。昨日作った抜群の出来の唐揚げと一緒に。

夜は難波でラーメンを食おう、DVDをもっと買おう。今まで映画をあまり見てこなかったから。

俺は外に出た。自転車に乗って、本当に清々しい朝はいつぶりだろうって感じだ。俺は今日の朝を愛していたし、彼女を愛しているし、ほんのすこしだけ自分を好きになってやってもいいのかもしれない、なんてほんの少しだけ思った。

コンビニについた。シャケ、ゆで卵入り、オムライスのおにぎりを買うことにした。シャケはエビマヨより10円高い。でもこの気分のいい朝は味付海苔なんかじゃなくて、ピシッといきたい。

レジは俺の前に二人、おっさんが一人で対応してる。

俺は並んだ。隣を見た。げんなりした。全て、この久しぶりに感じた気分のいい朝が崩壊していく音が聞こえた。

Shit!!クソが!!若作りした女と腐ったデブが二人で商品の陳列をしてる。笑いながら、クソ下らねえ会話の応酬。

俺はコンビニの店員をしてたからわかるんだが、いや、誰だってわかるだろう。俺の後ろにまた並ぶ。

アホはまだ話続けてる。

買い終わって外に出た帰り道、俺はもう何も食いたくなくなっていた。

ドラッグストアの前、咳止めシロップを買おうと思った。財布には10円玉と50円玉があるだけだった。

 


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#病み垢さんと繋がりたい

18歳までの人間は、情緒不安定で対人恐怖症だ。神経が剥き出しになってて包むカバーを求めてるから。心臓がそのまんま体に直結してるのが思春期だ。まぁ、大体のやつが高校を卒業して、大学に入った瞬間に何もかも許せるようになる。

落ち着くまでがどんなプロセスか?

自分の願望に、"愛されたい"、"理解されたい"だのに対する絶望で、だ。

セックスはただのセックスだ。この世界には理解も愛もない。そんなものは前頭葉の妄想だ。クスリを飲むより絶望した方が早い。18までの苦しみは、大抵思春期の爆発でしかない。薄くとも濃くとも、誰しもが感じてる。自分を病んでるとカテゴライズすることで少しでも気が楽になるからやってるが、段々エスカレートしていく。

病気ってのはそもそもが自覚できるものじゃない。対人恐怖症だのに自分を当てはめることで、学校にない自分の居場所を作ってるだけ。

そもそも全員がなんで同じ行動をする?リストカットにカッター、カミソリ。過食嘔吐、あとはなに?錠剤?

自分で自分が本当に落ち着く方法を探せばいいのに、大体漫画だのネットの知識で自分を埋め尽くす。

大体だ、幸せってなんだ?

大抵のやつの妄想は酷似してる。親に理解してもらえない、から始まり、だ。虐待を受けてる、だの。

どこの家庭も大抵一緒だ。思春期は心理学的に、親が敵に見える。そうやってみんな、親から離れていくんだよ。当たり前のことだ。

何が言いたいかって?

メンヘラだの、病み垢だの、ネタにしてバカにしてるやつがクソほど見ててうっとおしい。

みんなみんな通る道だ。そうやって、インターネットを介してみんな楽になって、大人になって、いつかそんなことしてた自分を笑えるようになればいい。

どこにも言い出せずに死ぬよりマシだ。そうだろ?

ムカつく郵便局員

言葉の天使チャールズブコウスキー郵便局員だったらしい。

ポストオフィスって一番最初の長編に住所を覚えるのが大変だ、って書いている。郵便は激務らしい。

アメリカはでっかい、でも日本は小さい。HUH?俺の家はわかってるみたいだし時間も間違えてない。遅れてもない。

なのに、Ah、ボケが、"不在届"こっちは在宅してるってのに。

おかげで昼からイライラしっぱなしだ。

好きなバンドのLPを届けてもらう予定だったってのに、イライラする。金を払ってストレスを買ってるのか俺は?Huh?クソが。

この前は中島らもの小説を持ってきてくれた。わざわざストレスをおまけして。

その上ズカズカ家に上がってきやがって、帰りは「ありがと。」なんかおかしくな~い?

アホが、ずっとそんなんだから郵便局員風情で終わりなんだよ。

そりゃ郵便局員にも立派な人もいる。そういう人はたぶん、それなりにいい役職に上っていくだろう。

深夜のコンビニ店員の「ポイントカード責め」お前らはそんなとぼとぼしてっからずっとそこにいるまんまなんだよ。

夢を追いかけるのは勝手だが、俺の届け物にストレスを抱き合わせで寄越すのは辞めてくれ。

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天才は居るのか?

フランクザッパは天才だ、と言う話をよく聞く。時代の先を行きすぎた音楽センス、高度な技術、買っても買っても尽きない音源の数。

エルメートパスコアルも天才だ、とよく聞く。1日1曲作曲し、マイルスと共演し、テレビの人の話し声を音楽にしてしまうセンス。

フランクザッパの人生はブルースだ。女の子と映画を撮って、ヤってもないのにポルノ扱いされ刑務所に送られるわ、頭のおかしいファンがライヴ会場を燃やすわ。エルメートパスコアルはアルビノだ。

何が言いたいか?天才なんてもんは居ない。

ジミヘンは一日10時間練習して、「世の中には11時間練習してるやつがいる。」なんて言ってるぐらい真面目だ。

天才と狂気は紙一重?狂気じゃないやつは音楽、及びに芸術を辞めるべきだ。

キングクリムゾンのリーダーはロバートフリップだったっけ?REDと言うヤバいアルバムを残して解散して宗教にはまっちゃったらしい。

人間ってやつは悩みがある、苦しみがある、なんらかしろの形で。それを昇華させたりする道具が芸術だ。

必ずしも苦しみがなければ芸術が出来ない、なんてことは思わない。

みんな同じような経験をしてる。その物事に対する向き合い方、それ次第で天才ってものになるんじゃないだろうか?

イチローはたまたまバットを握った、それが、自分にあった形だったからプロになれた。天才ってのは自分を生かせる道具を見つけたやつのことだろうと思う。

電卓の天才がいてもいい、コピーの天才も、それとデザインの天才、ギターの天才、なんの違いがある?お金と世の中の注目の違いでしかない。

自分を生かせるものを見つけたら、誰だって天才になれる。

まぁ大抵のやつは、世の中に合わせようとして失敗してる。

サラリーマンの天才に成れたであろうやつが、路上で今日もアコギを弾いてる。俺はそれを見てイライラしてる。

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知覚の扉

自己肯定し終わったやつ、俺はわかった、ってやつ。

脳みそは思考に左半分しか使われてないんだってさ。

世の中にはまだ知られてないDMTより強烈な幻覚剤もあるのかも知れないし、俺たちが味覚、触覚、聴覚、視覚、嗅覚で感じられる以外の感覚も世界にはあるのかもしれない。地球上に全ての謎と答えがあるってか?そんなわけがない。

それでも、猫がピアノの上で暴れまわって、モーツァルトアイネクライネナハトムジークを書くぐらいの確率で、文字の羅列の中に俺の答えを探す。韻の奥に書かれる意味に世界を探す。

俺は知った、ってやつは何も知らない。お前が知ったのは、偶然ボーリングのピンが全部崩れたみたいに、再現性の低いクソだ。そうだろ?

 

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首吊れ

談なんてことにほとほとウンザリする。

自分のことを助けてやれるのは自分だけだ?huh全く笑わせてくれんな、お前らは。

俺は今を選んだわけだ。というか、どこを選んでも出口なんか閉ざされてるって話だ。全くもって笑える。

今を一緒に苦しんでるやつにしか俺のこのクソみたいなAh?何て言ったらいいか、どうせどんな言葉でもお前らにはわからないだろう。

墓石は沈黙してる。花をもらったお前が光って見えた反射は太陽の光

俺は誰にも話さない、そう言いながらここに書いている。

せめて、ah、俺は助けてほしいとは思わない、いや、本当の話、救われるって掬われると韻を踏んでるわけだからNa。

そう言いながらここに書いてるって訳だ。Hah?

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芸術と非芸術の垣根

多分ニューヨークダダのマルセルデュシャンの言葉に「芸術家がすることはすべて芸術だ。」ってのがある。

作家の全集に手紙とかが含まれてる時点でそうと言える。

仕事によって書かされた絵は絵画と言えるのか。

ピカソの絵が~百万で売られてる時点でそうと言える。

ただ、芸術と表現、これに違いがあると思う。その垣根は何なのか?

言いたいことを言う、これは表現だ。その他は芸術だ。

客のためにイヤイヤ昔流行った曲を演奏するアーティストはでも、表現しているとも言える。

下らない魂が入ってる論争は本当にどうでもいい。

受け手次第でどうにでもなるが、ノストラダムスみたいに散文が予言になったり。

芸術ってのは何で、表現ってのは何、ってのは人によって違うわけだが、俺は何かそこにメッセージ、そいつの言いたい言葉が、絵が、音が、あるものが芸術、表現であるとは思うが、俺が女に書いたラブレターは芸術とは、表現とは言いがたい。

芸術っぽいものは芸術なのか?勘違いサブカルの絵も?

こう言ったことを恐らく、親に描かされてるであろう子供の絵の展覧会を見てて感じた。

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ダダイストとは

ダダイズムはヨーロッパに起こった反芸術の大々的なムーヴメントだ。

後にその精神はアメリカ、日本等様々な国に飛び火する。フルクサス、ネオダダ。

第二次世界対戦を挟み、ビートニク、ヒッピーへと変貌していくことになるカウンターカルチャー、社会に対する絶望を芸術で表現した最初の動きだ。

 

「ダダは何も意味しない。」

ダダイストの代表者、トリスタンツァラの有名な言葉だ。

ダダは無意味な演劇、無意味な絵画の中に何を示したか?

それは大戦の虚無感だ。ダダイストの行動は全て無意味を意味する。無意味を表現すると言う矛盾、無意味とは何を意味しているのか、それは俺の独自解釈だが、戦争の無意味さを身をもって表現しているのだと思う。

ダダイストであるジャックリゴーは自殺した。人生に意味などないからだ。つまり、ダダイズムとは虚無主義の体現でもある。

人間は無意味に耐えられない。脳が全ての物事を言語化するのと同じように、ダダイストはやがて無意味の中に意味を求めようとした。

シュルレアリスム実存主義への変貌だ。

シュルレアリスムの始まりは自動筆記に辿り着く。ダリが夢を絵に表したように、ダダイストたちは無意識に目標を定めた。無意識の表現、これは無意味ではない。

ダダイストは自殺するか、シュルレアリスムに移動した。でないと耐えられなかった。

人間は虚無主義のまま居続けることは不可能だ。神に生かされていると感じるだけでは生きていけない。生殖し、飯を食い、眠る動物のような生き方はできない。仮にそんな人間がいたとしても彼らは第四の欲求に、祈りを持っているはずだ。祈りは音楽であり、表現である場合もある。

ダダイズムは通過点でなければならない。だから持続しなかった。永遠にダダイストで居続けるには死ぬしかない。無意味である自分にもうすでに意味を求めてしまっているからだ。

虚無から実存主義に行き着くように、ダダはシュルレアリスムに行き着いた。

でも、俺が思うにだが、生きてる意味が無い人間は美しい。

自分の居場所に芸術を求めてる人間は、もっと無意味に、ウンコをするみたいに純粋に、覚醒剤中毒者が睡眠薬を貪り食うように自然に、芸術をすべきだと思う。

ただ、やるだけ、それが一番正しい芸術のやり方だ。芸術家である自分にたどり着いた人間はつまらない。

何者でもない、ただ表現せずに居られない、天性の、永遠に未完成のダダイストで居続ける努力が、芸術をやる人間に最も必要な、向上心だ。

なにもしないことによってなにかをしている、神に動かされるかのように、クソするみたいに、10日我慢したオナニーみたいな、そんな芸術以外はすべて芸術とは言えない。

ダダイストシュルレアリスムに移行する前のためらい、俺はそれだけをして、それだけを見ていたい。

完成した未完成、それだけを永遠に求め続けたい
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