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16時が17時になる5分間 電車

目立ちたくて派手な格好をしてたことがある。大学に入ってしばらくの間。

というか、目立たないように目立たないようにしようとすればするほど目立つからあえてその逆をやればいいって発想が俺のなかで生まれた。

それは失敗した。見事に目立った。が、おかげで人の目が気にならなくなった。

今は、派手ではない、乞色だ。

タイの服を着ている。その中でも比較的、色が暗い。だからとても汚い。ミノムシみたいなやつはさすがに着るのを辞めた。

電車の中で彼女いわく、ものすごく見られているらしい。自覚はしていない。俺の中で一番の服装への気遣いは"人と被らないこと"、"テンションが上がる服装"だ。

友達の仕事を手伝いに行くために電車に乗った。

俺の地元は田舎だ。前に高校生が座ってる。スキニー、キャップ、パーカーから少し出した田舎の高校生。

ダサい。

乗ってきたやつがそいつに挨拶をした。そいつの格好は、スキニーキャップ、パーカーから少し出したシャツ、、。

流行に乗るのはいいが、恥ずかしくないのかな、と思う。

だからって奇抜な格好をするのはアホだ。俺は辞めた。好きな格好をしてりゃいい。

ファッション雑誌のコピーが本当に好きな格好なのかな?と思う。

服装まで人の真似をしだしたら終わりじゃない?と思うよ。自己アピールしろとは言ってない。鏡の前の自分を自分と見てないやつが多すぎる。

知り合いの人は若いときモヒカンだった。それはコスプレや。と言うてた。好きな人と同じ格好になることで自信が出るとかそんなのとか、その格好が好きでやってるんだろう。

俺は疑問に思う。ファッション雑誌の流行りの格好が本当に好きって、マジか?

自分が本当にその格好が好きならその生い立ちとかを探っていくもんだろ?その好きな服装のジャンルのルーツとかは以外と今の一般化した形と変わっているものだ。マークボラン、デヴィッド・ボウイがビジュアル系に変わったみたいに。その自分の好きなのが流行でもいい。でも本当に好きならだんだんルーツに近づいて一般化されてるものとはかけ離れていくと思うんだけどな。

俺はその、黒スキニーの同族意識みたいなのが気持ち悪い。だから、黒スキニー履けば女にモテまくるんだとしても、この全然モテない自分の好きなかっこうしてる方がいいや、と思ってしまう。

白痴の代弁者

「パン屋」がなぜ「和菓子屋」に? 小学道徳教科書広まる誤解

 

このニュースを読んで昼間っから大笑いした。

まぁこのニュースは読んでる限り、いや、あまりのくだらなさにほとんどパラ読みしたんだが、「なんか言われるまえに対策しとけ」って感じだ。

 マスコミが悪いんじゃなくて、見てるやつらがアホだからマスコミはクソになっていく。

マスコミは俺ら、社会の鏡。

読売アンデパンダンは、社会が歪んでた時代に、反芸術の展覧会をやってた。読売新聞が主催になって、歪みを伝えてたってわけだ。

 

ニュースってやつが、マスゴミが、アホに見える?

それを視聴者が望んでる。

アホは正義感を振りかざしてマスコミに"差別発言だ"などとクソを抜かす。

その裏でオカマのタレントを見ながら笑う。

差別発言?差別しないってことは区別しないことだ。お前らの大好きな正義の教科書にはそう乗ってなかったか?

日本の大多数のアホがマスコミに言う理由は、"承認欲求"だ。見てみろよ、Ah?被災地のカメラに写り込む、笑いながらボランティアして、ピースしてるやつら。そいつらに抗議が行ってるとは、俺には思えないんだが?

お前らの存在価値は、その程度か。その程度の正義か。悲しくなんねえのか?他に語るべき言葉はないのか?書くべき言葉は?と、俺はいつも思う。

猫と女は望んでないときにやってくる。

もし、誰かに理解してほしい、愛をもて余して芸術をしてるなら、いや、その活動の良し悪しなんてどうでもいい、、有名になるなんてクソを拭く紙より訳に立たない、ガンジス川に流れていく蛆のクソ以下、、とにかく、なにか誰かに訴えかけたくて愛されたがって生きてるやつは、誰にも理解されちゃいけない。

苦しみってのはギフトで、解消する度に社会との折り合いがわかっていく。なのに、ガキの頃に理解されてしまったらそっからは何もやる気にならない。ボーッとしてるだけだ。

理解されないってことが理解されてるってことでもある。少なくとも、理解されるのが生きる目的になるから。

30過ぎたら世間と自分に折り合いがつく。嫌でも付き合い方が分かる。その時に理解者、女、愛するやつを見つけるべきだ。苦しまなくても出来るようになったときに。

何てね、偉そうなこと言うけど、"理解者"はお前が欲しがってるときに現れない。去っていってくれればいいんだがそういうわけにはいかない。

猫と女は望んでないときにやってくる。ボードレールだったっけ。

女はな、男友達と笑ってるところが好きやねん。ってのも知り合いに聞いた。実体験でもある。なんで俺じゃなくてあいつが好きなん?って聞いたら「俺と話してて笑ってるとこ」が好きで惚れた、とか訳のわからない話されてフラれた。

理解される、ってのはある意味完結であって、振り出しに戻るってことだ。

俺は彼女に理解されてしまった。理解されることだけを目標に生きてきたってのに、俺はもう生きる意味がない。

吐き出すものも吐ききれてないってのに、吐き気だけ抱えてどうしようも出来ずに立ち止まってる。またやることを探さなきゃいけない。

昔みたいに理解されたい、一人になりたい、って状況で生きたくて何度も別れたが、まぁ無理だった。結局一度理解されてしまうと、相手にうんざりするまでは自分の意思じゃ別れられない。

苦しめる時に苦しんどけ。お前の願望が完成したら、苦しむことは出来なくなる。出し切るまで理解者が出来たら、違う方法で自分の膿を出す方法を考えなきゃならない。それは絶対に、少しずつ流れていく膿で、理解のベクトル向いてるときの鮮血みたいにスピードに乗って飛び出る膿じゃない。

他人にされた肯定は、自分でした肯定よりも嘘臭くてなかなか信じられない。すげえ中途半端なもんだ。

何度も言ってるけど、未完成こそが一番完成された状態だ。

生きる意味は埋めることにある。埋まってしまったらもう死ぬか、もう一度壊してやり直すしかない。

もっと苦しみ、もっと出しきっておけ。徹底的に、死ぬほどな。気が狂うほど。

出しきれたときに自然に出会えるよ。安心しろ。

朝9時32分

ガキの頃に夢見る20歳ってのは、アトラクション、遊園地、ワンダーランド。

20歳になると親に叱られず、彼女もいて、音楽をしてて、学校にきちんと行ってる、そんな感じで、いや、当時からしても、俺には夢のまた夢みたいな日々なんだ、それが。

現在20歳、親に叱られない、ってことがどれだけだるいか。全部自分で決めなきゃならない。自分でレールをひいて自分で進んでいくことのだるさ。

ごもっともだ、適当に引きすぎたレールから車輪が外れてうまいこと進まない電車、うんざりする。

彼女はいるにはいるが、居るのか居ないのかわからない。

音楽はしてる?格好だけの似非ヒッピー。ためいきしか出ねえ。

今遅刻してる。

いつまでたっても自立できないのはあの頃となんの変化もない。回りの景色と若白髪の量だけ増えてくだけ。

20歳が30歳を夢見るときはうんざりすることしか思い浮かばない。

ガキの頃考えた30の俺はもう死んでた。

軌道修正しないとな、そう思いながらまた遅刻。

石橋を叩きすぎて壊してしまう前に、レールしかずに電車の乗客なんて見捨てて一人でゆっくりあるいてるほうがまだすこしは進んでるかもな。

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尊敬ってやつがいかに哀れか。

中島らものエッセイを読んでると、「一般人に近い人がアイドルなりになる時代が来る」って書いてたがその通りだ。

AKBが可愛いか?歌が下手でダンスが出来なくてもアイドルになってる。

そしてみんなそれにあこがれて追従を試みる。偶像崇拝に近い。

俺はとある人を崇拝し、尊敬し、"同化"を試みた。

高校時代某バンドに憧れて歌詞に書いてることをすべて現実で実現した。

女にあまりにもモテないのに歌詞にはセックスについて書かれてあったから苦労した。実際に経験して、歌詞を書いて歌ってる人と同じ気持ちになってやろうと考えた。

その他にもここには書けない色んなことをした。

人生を捧げるって訳じゃないが、いい退屈しのぎになった。

でも、そのうち頭がおかしくなってきた。

ファンってやつは怖い。アイドルが刺されたりしてる。あの心境は俺にもよくわかる。実際に愛ってやつは死に近い。俺の場合は愛ではなくて、完全なる同化だったが。

服装を真似し、発言、言動まで真似した。で、俺は実際にその人に会った。

その人の彼女との会話、ライヴ終わりの姿を見てうんざりしてしまった。

真似をする意味がなくなってしまった。

アイドルなり尊敬する人も、プライベートでは普通の人間だ。俺は神様かなんかだと勘違いしてしまってた。

その瞬間生きてる意味がなくなってしまった。

1年間あらゆる芸術を辞めて、俺は普通の人間になろうとした。

で、そのときに歌詞の意味をようやく理解したし、今俺が聞いてる音楽は偶然にも、その人の好きな音楽と一致していた。バッハ、アシュラテンペル、レゲエ。無理して聞いたりしててものが本当に好きになっていた。

もし尊敬し、同化したいと考えるなら、その人から遠ざかることだ。

自分が自分自身であることが、もっとも神に近い。神に与えられたものが、顔面の皺、性器の大きさ、愛し方、性格、個性だから。

自分が自分であることで、その人に近づくことが出来る。他人は神だ。そして、お前は他人から見れば神だ。

神もクソするし、咳もするし、女に甘える。

お前がクソもするし、咳もするし、女に甘えるみたいに。

すがるものなどこの世の中には無い。

ダダイストとは2

ダダが滅びた理由に関して俺は、虚無主義実存主義へと変貌を遂げていくのに似ていると以前書いた。

もうひとつあると思う。

確かツァラだったと思うが、いや、ダダイストは言ってるし全員が思ってることだと思うが、ダダは死んだって言葉がある。

何故死んだか?クソ追随者のせいだ。

日本のネオダダが何故ネオダダと名乗ったか。厳密にはダダと離れているからだ。

ダダは無、だ。"作り出す気"などない。そもそもカウンターカルチャー、社会に対する反発であれど、ムーヴメントではない。

虚無感の昇華、それさえ終えれば"終わるもの"なのに、"死んだ"。何故か。

ダダイストを名乗るやつのせいだ。

段々規模が大きくなるにつれ、みんな真似し出す。

メルツバウを作っていたクルトシュビッターズ、俺は好きだがダダイズムに参加できなかった。

クルトシュビッターズは一人でやりだした。でも、メルツバウは成功していることだと思う、だが、そんなやつが増えすぎたんだと思う。

ツイッターを開いていたらミュージックネオダダイズムなんて抜かしてるやつがいた。そいつのツイートを見ていたが、ダダからはおよそかけ離れていた。

ダダはカテゴライズするべきものじゃないし、ダダ宣言は皮肉であり、傍観者でしかない。ダダは名乗る人間が表現を定義するためのものでもない。

ダダイズムは追随者によって死んだ。終わる前に殺された。

ダダは無意味だ。俺は路上で友達とただただ叫んで、ダダを名乗ってたがすぐ辞めた。路上ミュージシャンの妨害、という意味が出来てしまったから。

ダダは何も意味しない。こんな討論無意味だが、ムカつくから書いた。

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「誰々みたいに成りたい。」

「誰々を尊敬してます。」

「誰々を崇拝してて。」

ジムモリスン、ドアーズ、俺はあんまり好きじゃないし、詩も読んだが意味があんまりわからなかった。

「俺は人を尊敬しない。」

あとの言葉は忘れたが、そんなことを言っていて、俺はそれだけよくわかる。

ロックスターになりたい、アイドルになりたい。

努力ってやつの正体は、その人がその人であり続けるってことでしかない。

血の吹き出る努力は、その人がそれをしないとこの世の中に何もやることがない、って場合のみやるべきだ。

ひとは、自分にしかなれない。

君が好きなスターは、自分で居続けた結果スターになってたって話だ。

みんな、成功者は、「成功したくて」やってるわけじゃない。

書かなきゃ死ぬ、飯を食うよりギターを弾きたい、その人がその人であるってことは必ずしも有名、と結び付くもんじゃない。

有名になりたくてバンドしてるやつは、有名になったあとはどうするつもりだ?

考えろ、お前って器を。そして、器に一番合うものだけをそっと飾れ。