201705241700 変化

人それぞれに欲望の容量ってのは決められていて、例えば俺が女にモテまくったところで多分疲れるだけだ。

俺の友達は絶対に女にモテるやつばかりだ。だから俺はそれに嫉妬していたが、実は俺にはこのぐらいがちょうどいい。

と言うより、昔は女の友達が少なすぎたんだろう。いや、女の友達云々以前に、男の友達も少ないんだが。

友達の多いやつは、俺よりも精神の容器が大きくできているだけで、俺が5人友達いて、友達の多いやつが50人でも、多分感覚としては同じなんだろうと思う。

俺の友達は精神が病んでるか、親が腐ってるか、そんなのばかりだ。

俺は恐らくそんなやつとしか友達になれない運命なんだろう。

いつも思う。普通のやつと仲良くしてみたいと。だが、普通のやつの会話の内容はどうしても俺にとってはつまらない。

俺は女と、大学になって彼女が出来てからヤったことがない。ヤるチャンスはあっただろうけど、どうしても欲望よりプライドが勝ってしまう。

会話のつまらない女に合わせて行動してヤれても、絶対に幸せと感じられないから俺は、俺を押し通して、ついてきてくれる女としか友達になれないし、そんなやつは包容力がでかいからモテるのは当たり前で、俺にヤるチャンスはない。

なんの話をしてるんだ?

俺は、俺で居て俺を好きで居てくれるやつとしか友達になれない。

精神的に参ってるときに心配してくるようなアホとは絶対に仲良くなれない。

それに、意味のわからない笑いが生まれる会話も退屈で仕方ないから、群れてる人間と仲良くできない。

さて、同じ話ばかりして友達が居ないことを自己弁護する腐った文章を読ませて申し訳ない。今日の話をしたい。

鬱が抜けきらずに気分の上がり下がりが半端ない。それでも俺は笑う。

ひょっとしてこいつは、"笑って元気な俺以外は嫌いなのか"なんて思ったりするが、実はそんなことはない。みんな、分かってくれている。

なんてありがたいんだろう、と思う。

あれ?また甘えたクソの文章になってしまった。話を変えよう。

 

アンサンブルと言って、楽器を弾く授業があって、先生がギターを弾き出した。俺の好きな先輩と先生がギター、俺は休みでもう一人のやつがベースを弾いて、あとはピアノとドラム。

俺の好きな先輩のギターの音は、感情が爆発してる感じで、ざらざらしている。俺はその音が大好きで、卒業するまでに何かで一回だけ一緒に音楽をしたいと思ってる。

先生とギターのソロをまわしていたとき、俺はものすごくショックだった。

先生のギターは洗練されてて無駄がなく、技術がある。それは当たり前のことだ。スタジオミュージシャンが本職の方だから。

でも、洗練が、精神的な部分を塗り潰してるように聞こえた。

洗練は、感情の起伏をもコンプリートして弾いてる。決してイミテーションにならないが、決定的に技術から来る感情の起伏なのだ。

だったら俺や、若いやつのしている、がむしゃらにぶちまけたソロは一体なんなんだ?

それがダメ、とかはない。才能の違いとかでもない。年を取っても芸術と向き合うときだけ尖ってる人は、俺たちにない経験と達観があって、若いうちはそれにたどり着くことがないように思って悲しかったのだ。

今日は文章のノリが悪い。昨日書いたやつは消した。まるで閃きがない。この今回の記事も消したいぐらいだ。

40歳を越えたぐらいの作家、西村賢太も、ブコウスキーも、達観してる。俺は絶対にああいう風に書けない。

まだまだわからないことまみれで、主観的に物事を見ていて、小説や、文章になりきらない、吐露でしかない、つまらない。

世の中の大抵のやつは、若い頃の方が面白い作品を残してるのはなんでなんだ?

老いた方が経験も、思考も、技術も圧倒的に上なのに。

感情が、老いに勝つことは稀だ。才能ってやつだろう。大抵のやつは達観したときに才能を枯らしてしまう。

もしくは、年老い、疲れ、なにかに妥協する。

何が言いたいのかって?

常に今をキープし続けなければならない。

どれほど自分を客観視出来ても、悩みが解決しても、根本の自分を保ち続けなければならない。

丸くなっても、根本を持っていればいいだけの話だ。

俺は理解してくれる女が居なかった時期と今は少し違うが、本質は同じだ。

あの頃と今も変わらず同じ、なんて嘘臭いこと抜かすやつは、自分が枯れてるか判断出来ないぐらいに何かに妥協して自分を見失ってる。

変わり続けることで変わらずに生きてきた、だったっけ?ニールヤングの言葉だったかな?

俺もそうでありたい。例え、どれだけ苦しくても自分を見失わず生きたいと思うのだ。