何故僕が音楽理論を学ばないのか。

昨日友達と彼女と一緒に2時間ぐらい話しててわかったんやけど、俺、現実生活を理論詰めし過ぎてるから楽器練習したり理論学ぶの苦手なんやと思う。感情的に、無意識に、俺を消して表現できるのがそれだけやから。

例えば、九九。2x8=16やん。それはみんなニハチジュウロクやん。

俺の場合は、2人のカップルが8組いる。すべて足し算すると16になる、って意識を持ちながらじゃないとニハチジュウロクと言えない。

この前の例にならって、ニクジュウハチなのであって、ニハチジュウロクという前提がないとニクジュウハチにはなり得ない。みたいなことを小学校からずっと思ってる。

英語のKnowは、Kを発音しない。それが気持ち悪いからnowと書いてたひとが居るらしい。これも俺がすごく悩んだ点で、俺はknowという単語はknowでノウと読む、クノウではない。それはなぜか、そういうルールだから、って先生は言うけど、俺は、発音しないけどkをつけないとナウになってしまう。俺が伝えたい単語はノウ。kをつけることによってノウと読もうと言う意識を働かせた。なお、knowはknowと言う形式をもって知る、と言う意味になる。みたいな、単語一つ一つ分解して脳みそで理解させてからじゃないとわからん。

音楽は、聞いただけでブルースってわかったりするから好きで、それをハイハットが~~を刻み、音の変化が一定して~~で他コードに移るときのドミナントの音は~~で、って考えると楽器が現実世界に介入しすぎて嫌になる。

練習は感覚的なものでしかあり得なくて、この音がここに入れられてるから構成がうまくいく、でなくてこの音をここにいれてみたらしっくり来た、でないと、いけない。

無意識に感情が論理的になるのを避けている。でないと嫌だから。

すべての物事は論理的に説明がつく。もしくはすべての物事を抽象的に考える人間がいる。

俺は、論理的に物事を見る俺が嫌いだから音楽ぐらいは感覚的にとらえたいって訳。

そして、言葉は唯一その論理と感覚の中間地点に居ることが出来る。俺の場合は全て、結果としての「イラついた」を、雨が降ったことにより気分が沈みイラついた、と言いたい。そして俺の場合それが結果。

感覚的にとらえる人は、イラついたから文を書いた、になり、前提がない。俺は雨が降ってたから気分が沈んでイラついた。このイラつきと言う感情だと余りにも単純な一語で、他人は俺がイラついたと言うことを違う理由としてとらえるかもしれない、だからはっきり克明に真実としてのイラついている、を残さなければならない、そして他人にはっきりしたものを伝達しないといけない、だから書いた。となる。だから俺の言葉はすべて過去形になる。

 

~~があった。(現象)

それによって導きだされる~~と言う感情(結果)

結果により表現するものが決まる。

が感覚的な人間。

 

~~があった。(前提)

それを書き写す。(過程)

結果、俺はイラついた。

であって、俺はイラついたから書いた、の展開がすべて過去に位置している。

 

友達に言われた。「そら、お前友達と揉めるわ。イラついたって事実を理解してほしいのであって、その過程よりもみんなはイラついてる今現在を変えたくてお前に話すわけだから。」

俺にとっての理解とは、過程を聞くことであるし、すべての物事の真実と言うものはそれが虚偽であれ事実であれひとつしかないと思う。だから、俺は過程を聞くことでしか他人を理解できないしそれにたいしてそれが事実なのであってそれを変更することはできないから助言が出来ず、過程の見直しを行うことでしか他社を理解できない。

彼女もその後に俺に言っていた。「お前めんどうくさいねん。」

俺は絶対に、このお前めんどうくさいねん、に至る過程をこの文章に記した。これも、過去。そして彼女が俺に対して言った、俺は受動することによって言われた。その、言われた言葉をさらに紐解くことはない。それが事実なのだから。

事実ですべてを納得せざるを得ない。そして論理で片付けざるを得ない。例えばそれが混沌としていてもそれが事実なら仕方がないことだ。

感覚的な人間はその混沌を、どっちか片方に分けたがる。

だから俺はダダイズムが好きで、アナキズムが好き。

だから、が前提としてあるからこの文なのであって俺はダダイズムが好き、アナキズムが好き、なのではない。

 

あ、俺ってめんどくさ。

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