追記、何故僕が音楽理論を学ばないのか

Joao Gilbertoは「ウンデュー、ウンデュー、ウンデュー、ダダダダダダダダダダダ、アーバババババヤー、アーバババババヤー」と5分間いいつづける曲がある。

猫は「あー、みゃー、なー、にゃー」だけで全ての感情を表す。

詩人は「俺は隠されていて、俺は隠されていない。」の一語に現在の状況、過去、世界の全てを表せられる。

俺は、つらつらつらつら無限に毎日限りなく、ノートに、プリントのはしに、パソコンに、携帯に、言葉を書き記し続ける。

素直に言えないのだ。前回のライヴでの最後の言葉は「俺を愛してくれ。」だった。そんな単純な単語を他人に伝えるために念入りにラインをして、話し合い、コンセプトを決め、ベース、ギターの音を大きくして叫び、20分後にそれを言うことが出来たわけだが、時間が余りにもかかりすぎる。準備だけで何ヵ月もかかった。

俺はアホで面倒くさいだけだ。昔から頭がいい、と言われるが、(言ってくれてる方は恐らくこの先の文も含め理解して言っていることも理解しています。)頭が本当のいい人は、4文字で全てを表現できるはずなのだ。

こうやってことばを連ねると言う行為は、要するに言葉で本質の回りを埋めつくし塗り潰し、巧妙に本質を隠しているからに他ならない。

それでも俺は本当に感じてることを愛する人や友達に伝えたい。

いつだってみんな俺のその言葉の方に重点をおいて絶対にその言葉で閉められた蓋を開けて余りにもちんけな中身は見ないままだ。

俺が彼女を愛してるのは、その本質だけを見て、俺の隠してる部分全てを無視したから。

俺は要するに、きちんとはっきりすれば済むだけの話をこじらせてわからないようにして、でもわかってほしい、なんて言ってるバカなんだけど、そう、俺はね、その言葉で埋め尽くした蓋をそっと消してくれるか抱き締めてくれるかして、俺の本質にはただそっと触れる程度でいいんだ。

そう、俺は俺を見てほしい。そして俺を見てもらうことを望めば望むほど本質が消えていくのだ。

どうやったらここから抜け出せる?うんざりだ。