音楽遍歴を辿ってみる。

幼稚園にすら入ってなかった3歳の頃、スピッツを聞いていた。

それから、80年代バブル頃のアメリカのポップスも車の中でよく聞いていた。主にバナナラマ、デッドオアアライヴ、ホールアンドオーツ、ケニーロギンス。

幼稚園からピアノを習い始めた。ピアノの練習はつまらない上に、ピアノを置いてある部屋は俺ひとりぼっちになって怖くて行かなかったから上達しなかったし音楽を聴かなくなった。

親父がエリッククラプトンをギターで弾いていた。それを俺はよく聞いた。

小学四年で友達とBOOK・OFFに行ったときに流れてたGReeeeNを聞いて衝撃を受けた。何が衝撃かと言うと、音楽を聴けばそのとき友達と遊んでたことを思い出したこと。

GReeeeNは好きだったが、全然物足りなかった。こんなものよりもっといい音楽があるはずだ、と思い続けていた。

コンビニで目当てのおにぎりがなくて仕方なく唯一1つだけ売れ残ってる鰹を食ってるみたいな気分だった。

ある日テレビを見ると整形依存症のミュージシャンのドキュメンタリーをしてた。デッドオアアライヴのヴォーカルだった。ユースピンミーラウンドって曲が流れたその瞬間、忘れてた記憶がすべて甦った。

俺は父親の車に忍び込んでMDをありったけ全部自分の部屋に持っていって片っ端から聞き出した。

親父とファミレスに行く途中、オジーオズボーンのクレイジートレインを聞いた。ピンと来なかった。ヴァンヘイレン、ボンジョヴィははまった。それでも、まだなにか違う感じが、違和感が、残った。

オジーオズボーンのMDを思い出したように週に1回聞いた。声が嫌いだったが、何かある気がした。

5年の頃、付き合ってた彼女が好きだったスキマスイッチも聞いたりしてた。大塚愛とかmihimaru GTも聞いてた。初のライヴはウルフルズだった。なんでもいい、流行りのものでもいいからひたすら親父にTSUTAYAに連れていってもらい、CDを手当たり次第に借りまくった。

小学6年までひたすら洋楽のMDを聞き、学校でもかけてもらった。J-Popの物足りなさは紛れたが、まだまだ違う、って感じがぬぐえなかった。もっと、もっと俺を揺さぶるなにかが音楽にあるはずだと思い続けて俺は小学校を卒業し、中学に入学、吹奏楽部に入ることにした。

中学1年になって俺はオジーオズボーンを聞き出した。オジーオズボーンを調べるとブラックサバスってバンドをしているとのことで、俺はCDを借りに行った。でも、あんまり馴染めなかった。

当時付き合ってたやつと初デート。楽器屋で退屈していて俺は本を手に取った。「音楽がわかる世界地図」

クレイジーロックミュージシャン特集ってのがあった。これが衝撃の原因だった。

イギーポップ、オジーオズボーン、ジミヘン、ザフー。色んなミュージシャンの奇行、それから名盤が乗ってた。穴が開くまで読んだ。そこに乗ってるミュージシャンのバンドもすべて調べて片っ端から聞いた。暇があれば親戚の家でパソコンを使い、調べまくった。

そこから暇があればおじいちゃんに金をたかり、TSUTAYAでひたすら音楽を借りまくった。

親父に名前を聞いてたメタリカは意味がわからなかった。全然好きじゃないな、と思った。それからジューダスプリースト、エルビスプレスリーなんかも借りた。でもあんまりよくわからなかった。

キッス、AC/DCなんかを聞いていたと思う。でも、なんか、なんかが違う気がした。ずっと今まで聞いてきた音楽に比べればずいぶん自分の好きなのに近づいていってた。

中一の終わりごろ、NHKで「みんなロックで大人になった」って番組が深夜に放送されるらしい。これは見なければと思って俺は眠気に耐えながら頑張って起きていたがいつの間にか寝ていた。

1話がウッドストック、2話がパンク、3話がメタル。

1話の終わりごろ、ジミヘン、クリームが出ている頃に母親が起こしてくれて目を覚ました。

ヤバかった。ヤバすぎた。クリームのSunshine of Your Love、ジミヘン、俺は釘付けになってメモを取った。眠気はぶっ飛んだ。

パンク、セックスピストルズ、クラッシュ、ラモーンズ。絶句した。強烈すぎた。今まで聞いてたものはなんだったんだ?って感じだった。

それから、メタル。この放送が俺の人生を変えたと思う。オジーオズボーンの若かりし姿。靴を引きずりながら町を歩く姿。俺は、目から鱗だった。ブラックサバスのリフ、それからアイアンメイデン、メタリカ。映像で見て、ヤバさを知った。メタリカは嫌いだったが、放送のお陰で好きになった。

ヘビメタだ、そう思った。セックスピストルズを校内放送でかけようとして断られたりした。

早速おじいちゃんにお金をたかり、TSUTAYAで放送されてた分を片っ端から借りていった。それから、正月にお年玉で「鋼鉄の黙示録」って本を買い、俺はボロボロになるまで読んだ。片っ端からヘビメタを聞いていった。

そのなかにドゥームメタルって項目があった。小汚ないセイントヴァイタスってバンドが特集されていた。俺はなんとなく気になりながらも別に見なかった。モーターヘッドなんかにはまっていった。

中二、入院中に俺はiPodを親父に借りてジューダスプリースト、忌野清志郎を聞いていた。それから退院したが、もう吹奏楽は出来そうになかった。

毎日部活にハマって過ごしてきたのに、部活がなくなった。俺は空っぽになって引きこもりだした。もっと、もっと、俺は音楽を聴きたかった。

家庭環境がどんどん悪くなって俺は夜頃に外を徘徊するようになった。TSUTAYAで永遠にCD棚を見つめ続けた。片っ端から借りていった。メタル以外にも、名盤系を借りまくった。よくわからないのが大半だったが、なんでもいいから聞いた。

中2か3の頃、BECKって映画を見に行った。映画の内容は微妙だったけどオアシスが好きで俺はサウンドトラックを買ってもらうことにした。

サウンドトラックと、インスパイアードCDを買い間違えた。その中にはレイジアゲインストマシーン、ブラッククロウズなんかが入っていた。

俺はオルタナを聞き出した。レッチリは嫌いだったけど。ニルヴァーナなんかをよく聞いた。

おじいちゃんにお金をせびってはタワーレコードでCDを買ったり、TSUTAYAで借りまくる日々。でも、なにか、なにかが違う感じがした。

レイジアゲインストマシーンにはまってからKoRnを知った。今までで一番すごいな、と思ったが、これを越えるのはあるはずだと思った。

その頃、家にパソコンが来た。俺は毎日オーディオスレイヴとかKoRnの動画を見ていた。ある日、ブラックサバスを聞いて、関連動画を見た。

外を徘徊しているときに本屋で見た、ダークサイドオブロックに乗ってたチャーチオブミザリーってバンドのアルバムが出てきた。

太ったおっさんが顔に血を浴びているジャケ。俺はとりあえず聞いてみた。

鳥肌が立った。脳みそが空っぽになった。衝撃を通り越して俺は叫んだ。生まれて初めて納得した。それから、自分が生まれてきた意味も知った。

ライヴ動画を見ると、始めてみるオレンジ色のレミーと同じ形のベースを膝の下まで下げて引いてるロン毛のベーシストが写っていた。俺は親父にベースを買ってくれと言いまくることにした。

そこからはチャーチオブミザリー以外聴かなくなった。関連動画は1stだった。俺は2ndを聞いて、泣いた。ヴォーカルのフカサワヒデキさんとの出会いだった。

俺が生きてることを肯定されてるみたいな気分だった。そんな声だった。救われた。初めて、俺はこのために音楽を探し続けてたんだな、と思った。

受験なんてどうでもよくなってひたすらチャーチを聞いた。ベースは時々弾いた。やっぱり練習は嫌いだった。でも、これなら続けられるかも、と思った。吹奏楽時代はバリトンサックスだったし、ベースをやる運命なんだな、とか思った。

相変わらずメタルは時々、たまに聞いていた。俺はナパームデスを聞き、SxOxBを知った。ハードコアパンクはよくわからなかったが、たまに聞いた。

ニコ生を聞き出した。音楽放送があって、毎日徹夜で見続けた。俺はレッドツェッペリンをリクエストした。あだ名がレッドになった。それから俺は学校に行かなくなった。そこにNさんって人が居て、その人はものすごく音楽が詳しかった。俺はひたすら聞きまくった。今まで聞いたことのない音楽が流れまくった。

ツイッターを始めだした。卒業式間際、チャーチのフカサワヒデキさんがやってたブリードの音源を持ってる方、いませんか、と毎日呟いた。

メンバーから返事が来て、CDとLPを送ってもらった。早速聞いてみたが、あまりよさがわからなかった。

それから俺は放送のNさんに色々音楽を教えて貰いだした。INUスターリン、ハードコアパンク。それからBig Youth、U ROY、ブラックウフル。レゲエ。

もうひとつ見ていた放送はYさんの放送。Yさんの友達にも色んな音楽を教わった。サバートブレイズの音源を売ってもらったりした。Greenmachine、eyehategodなんかを教えてもらった。Yさんはレビューblogをしていて、俺はそれに片っ端から目を通していった。

バッドブレインズに衝撃を受けたころ、ブリードを聞き返してみると意味がわかった。チャーチより好きになった。

ブリードについて調べているとラリーズってバンドが出てきて聞いてみると、すさまじくかっこよかったので買った。下手くそなジミヘンだと思った。

そこからひたすらパンク、レゲエを聞くようになった。バッドブレインズはレゲエとハードコアの良さを俺に伝えてくれた。

Nさんの知り合いからはブランキージェットシティを教えてもらった。そこからガレージもよく聞いた。

そのころKさんと知り合い、その人はレッチリJOJO広重なんかを教えてくれた。OさんはコラプテッドのTシャツをくれたり、ブラックフラッグ、村八分を教えてくれた。

友達にライヴを誘われ、見に行った。その子のライヴだった。クラブで生でテクノを聞いた。もう、戻れないな、と思った。

ツイッターで、Gさんと知り合った。Gさんはパンクが好きで、俺はクラストとかを教えてもらった。Disclose、Amebix、それからGrind Core、コラプテッド。

Sさんはスライアンドザファミリーストーンなんかを教えてくれた。

Gさんがある日、ボアダムズを教えてくれた。EYEちゃんが楽器紹介をする動画。ストーブに向かって叫んだりするEYEちゃんを見て、俺は練習が嫌いだったし、これでいいんだ、と思った。それから10月にルースターズ赤痢ラリーズをカバーするバンドをして、見事にこけた。

高1の11月にLooking Forward to Lifeってキングコブラのイベントに行った。Zyanoseなんかがやっていた。

Yさんが激押ししているwombscape、おまわりさんにめちゃくちゃはまって、激情系ハードコアを聞くようになった。Knellt、Birushanah、SeeK、Cyberneを知った。大森靖子なんかも。

12月、Yさんの放送で知り合った人が電車賃をカンパしてくれて東京にチャーチを見に行った。念願のフカサワヒデキさんに会えた。ブリードのメンバーさんにも。ボアダムズの真似をしたようなデモを渡すと、「家に帰ったらすぐに聞くよ。」とフカサワヒデキさんに言われ、嬉しかった。

次の日は大森靖子を見たが感動した。おまわりさんもその日で、見れなかった。

どんどん人生が訳のわからない方向に進む中、俺は久々に車に入った。昔聞いてたMDはどれもあんまり好きじゃなくなってたが、スピッツを久々に聞いて感動した。ベースをたまに弾きながらボアダムズの真似をしてデモテープを作ったり配ったりした。

高2になり、ライヴにしょっちゅう顔を出すようになった。Knelltは欠かさず絶対見に行った。

ライヴをしたりし出して、Iと知り合った。赤痢のカバーのバンドを一緒にした。椎名林檎を教わった。ピクシーズダイナソージュニアを聞き出した。

ライヴに行ったときに出てたバンドの音源を聞いたり、チャーチを聞く日々。

ある日wombscapeのライヴに行くとKanchenjungaってバンドが出ていた。

素晴らしすぎた。ノイズではないが、混沌とした、音楽と言うより訳のわからない映像作品って感じだった。

ヴォーカルの人と話すと、「Dance Missing Tilt」ってバンドをしてるから、良かったら見に来て。と言われたので次のライヴに行くことにした。

DMTのライヴは、わけがわからなかった。4人が懸命にバラバラのリズムで太鼓を叩いていた。俺は、ブリードの次を見つけたな、思った。そこからDMT、DMTのメンバーのバンドは欠かさず見に行った。

高校を中退して引きこもってた俺はNさんと毎日電話するようになり、色んな音楽を教えてもらいながら、芸大を受験すると決めた。AO入試のためにベースの練習を初めてまともにし出した。

その頃にKと知り合い、ジミヘンのライヴ、ベルベットアンダーグラウンドゆらゆら帝国を教えてもらい、また音楽の幅がひろがった。

ジミヘンからブルースを、ベルベットからサイケだとか変な音楽を聞き出すようになった。ボアダムズは相変わらず好きで、ボアダムズから民族音楽も聞いていた。友達に詳しいやつがいたから色々教えてもらった。EyeちゃんのDJにはまり、Aphex Twinなんかも聞いた。

大学に入り、レゲエ、グレイトフルデッドばかり聞いていた。友達ができて、ヒップホップを教わった。シタールのライヴなんかも見に行った。が、彼女が出来てから音楽を聞くのも弾くのも辞めてしまったしライヴに行かなくなった。

何がきっかけかは忘れたが、また音楽を聞き出した。学校の先生がしてるバンドを見に行ってサルサを聞き、ブラジル音楽にはまった。デッドからPhishに行き着き、アシッドフォークを聞いたり、phishからプログレを聞いたり、プログレからマイルス、マイルスからフリージャズ、ジャズ、プログレからジャーマンロックを聞いたり、彼女の影響でクラシックを聞いたりして今に至る。

俺は声を大にして言いたい。俺が息子を作ったら、音楽なんて聞かせないと。