サドマゾ概論

あなたはSですか?Mですか?

こんな質問をされたことがあるだろうか?

至ってノーマルだ。そんな風に答えるやつは居るんだろうが頭の中は空っぽ。

俺の人生において、エスか、エムか、はものすごく重要なことだ。どっちが支配されてて、どっちが支配してるか。それが俺にとってとてつもなく大切なことだ。

金を貯めて本意気でSMに通いたい。これだけ精神論を徹底して追求しながらも、まだ通ってないのだ。俺はクソだ。

少なくとも、俺のサドマゾは人より洞察に優れててヤバい。性癖なんてものではないし、精神論だ。射精の快楽なんてオマケみたいなもんだ。

サドマゾは奥が深い。SかMか?虫酸が走る。勝手にやってろ。

さて、まずは第一段階、気付きについて書きたい。

 

その1、SとM、どっちがその場を支配しているか

 

脳みその足りないやつはこう答える。エス

そんなやつはソープにでも行ってろ。手錠をかけて愛しの彼女とクソソフトエスエムやって喜んでろ。

答えは、エムだ。何故か?ここまでは松本人志が語ってたのを後に知ったが、俺もそれを見る前から気づいていた。

エスは、エムなしに成立しない。エムは、エスなしでも成立する。

エスはエムに行動を求める。エムはエス服従する。

エムの行動についてエスは喜ばされている。エムの手中にある。エムはエスが喜ぼうが喜ばまいが何の関係もない。自分の欲望に忠実だ。

エスはエムを喜ばせているのだ。いじめている、のではない。

エムが何の行動もとらないとすると、エスはおいてけぼりなのだ。

 

 

その2、サドマゾは陰陽マークである

 

露出狂を例に考えてみた。

半ば強制的に相手を嫌がらせる➡相手が嫌がる

この段階ではエスと呼べる。

しかし、女の悲鳴に喜ぶのだ、つまりは被虐的な快楽、エムである。

エスとエムが渾身一体で身を揺すぶる。スピードボールだ、アッパーとダウナー。酒を飲むとタバコが吸いたくなるように、エスがエムを加速し、エム主体で一旦エスになることで自己嫌悪に陥り、その自己嫌悪と悲鳴がエムを喜ばせるのだ。

 

 

その3、転覆を狙う真のサド

 

まずは真のサドが似非のサドの相手の下に出る、エムになることでエスの相手に負けておき、似非のサドを有頂天にさせ、似非のサドを真のサドの上に立たせる。

頃合いを見計り、似非のサドを徐々に責めていく。

似非のサドのプライドをズタズタにしてから上に立つことで、位の違いを圧倒的に見せつけることが出来る。真のサドは、他のサドをエムに変えてしまうことで快楽を得るのだ。

これは仕事場においてなど言えそうだ。

年下の先輩なんていい例だろう。後輩だったのに、後輩だった頃の先輩を顎で使う。

これが真のサドについてを一番的確に表しているだろう。

 

 

その4、真のサドを考えると孤高のマゾに行き着く

 

真のサドになり、似非のサドのプライドをズタズタにすることによる申し訳のなさ。相手を申し訳なく思うことによって生まれる、自分のしたことへの後悔になり得る。

その後悔要素を被虐的な妄想に置き換えるのが孤高のマゾだ。

簡単に言えば、そんなことしていると友達がいなくなる。友達を傷つけるからだ。その傷つけたことを気持ちよく思うのだ。

 

 

以上、考えられるところで4までは考えた。

あくまですべて実体験とはかけ離れている。俺の実体験はあまりにマゾ的すぎた。どれもこれも似たり寄ったりで退屈だった。性と結び付いた途端にSMはつまらなくなる。

多分、ラブホで働いていたときに鞭打ちの強烈な音に歓喜の歌を歌っていたサラリーマンは、俺のこの理論なんて鼻で笑うだろう。

金と対価に日夜芸術、鞭と言う指揮を振りサラリーマンのおっさんを歌わせるS嬢は、俺のこの理論なんて鼻で笑うだろう。

俺はいつか金を貯めて本物を経験したい。両方を。素人とやるのなんて何の意味もない。プロに絶対服従と言う普段とかけ離れた自己に気づくエムになるか、キャラを作り上げ、自分と離れるエスになるか。

勿論俺は両方をやったみたい。

射精無用の、人間の悪意が作り上げた、性的行為とかけ離れた精神的な、本物のエスエムを、感じてみたい。